加藤一二三(ひふみん)の人生

いま話題の棋士、ひふみん、加藤一二三の60歳の頃のインタビューの記録があったので、記事にしてみたい。

対局に臨む際には、全力投球で相手を負かす、必ず勝つという気持ちを持って、将棋盤の前に座る。だがこれは本能みたいなものであって、そのための準備も、数日前から十分行なっている。勝つという強い執着心がないと、いい将棋、いい棋譜は残せない。棋譜は、自分の努力はもちろん、家族の協力、そして神の助けがあって、すばらしいもの、作品として深いものができる。そのようにしてできた棋譜をみると、自分は感動を覚える。自分が感動するのだから、きっと多くの人にも感動を与えられるはずだ。モーツアルトの音楽やミケランジェロの芸術と同様に。

長考については、もともとはそうではなかったが、大山・升田という強豪相手にはしっかりと考えないと勝てないということで、長考するようになった。1手7時間考えたのが最高で、7時間考えたときに妙手を見つけ、初めてのタイトル十段位を獲得できた。そもそもは、パッとみればほぼ最善手がひらめくのだが、その裏付けのために、しっかりと読む(「直感・精読」と色紙にはよく書く)。

駒音高く、ビシッと指すのは、いい手と100%確信をもって指せているから。わずかなためらいもなく指す。そのためには、よく読むしかない。

将棋の最善手は90%は読めばわかるが、残りの10%はいくら人間が考えてもわからない。将棋の中には、人間の理解、人知を超えた部分がある。

キリスト教には24歳のころ、ちょうど将棋で長考した時期から惹かれ出す。もともとモーツアルトの宗教曲やミケランジェロの宗教画になじんでおり、キリスト教が入ってきやすい下地があった。30歳で家族とともに洗礼を受けた。教会で、結婚するカップルに、よりよい結婚生活のためのアドバイスや聖書の話を(60歳時点において)20年間続けている。

42歳のとき、名人戦第10局(七番勝負だが引き分け3局の大激闘)をむかえる前、聖書をめくるとモーゼの言葉があった。「敵と戦うときは、勇気をもって戦え。決して弱気をみせてはいけない。あわてず、落ち着いて戦え」。これは自分に向けられた言葉だと思った。むかえた対局で終盤、もはや進退窮す、絶体絶命の局面で、残り1分で妙手に気づいた。思わず「あっそうか」と叫んだ。その一手で念願の名人位を獲得を獲得した。

(当時)60歳の現在、引退の気持ちはみじんもない。健康でさえあれば、これからもずっと、人に感動を与えられる名局をまだまだ指し続けられると思っている。まだ自分の将棋は8割ぐらいの完成度。いい将棋を指すだけでなく、深い精神的なもの、宗教的なものが加われば、棋譜がさらに深く輝くだろう。

神様の助けを得て、将棋に打ち込み、家族で助け合う、そんな人生を歩み続けていきたい。